峰の原な人々

自分が主役の人生を軽やかに生きる、仲良し夫婦の豊かな生き方

峰の原高原には宿泊業などを営んでいる方だけでなく、事業を行わず居住している方もいます。
今回お話を伺った山中さん夫妻は30年ほど前に峰の原高原へ移り住み、子どもを育て上げました。

なぜここで暮らそうと決めたのか、仕事はどうしていたのか、お話を伺いました。

ラグビーが移住の原点

山中勝世さん・文子さん夫妻が峰の原高原に家を建てるための土地を購入したのは1983年頃のこと。家を建てて移住したのはその10年後だったそうです。2人とも東京都出身ですが、もともと勝世さんは社会人になってから始めたラグビーの関係で、菅平にはなじみがありました。勝世さんのお母さんは長年東京・府中空軍基地でアメリカ人将校の秘書をやっており、その人がスポンサーとなって1971年に訪米。勝世さんが大学に入る前でした。そこでは広々した山の中にいた反面、帰国した時に府中が窮屈に感じられたといいます。峰の原高原の友人との交流でラグビーの合宿以外にも年に2〜3回菅平・峰の原高原を訪れるようになり、「ラグビー、スキーにテニスも、好きなことが何でもできて最高!」と思い移住を決めました。上田市に住んでいた宮大工さんの息子さん(東京在住)に家の設計を依頼し、薪ストーブと暖炉、ゲストルーム付きの家が完成。ちなみに薪ストーブは設計者に付けてほしいと頼んだわけではなく、「できあがって見てみたらついてた(笑)」そうです。

ストーブの前に水を入れたビンを置いて温め、湯たんぽやコーヒーに使う生活の知恵

小さい子ども3人を連れての移住

当時、末娘はまだ3歳。他もう2人の幼い子どもを連れて、東京とは全く違う環境への移住でした。(山中さん夫妻には子どもが4人いますが、一番上の子はすでに大学生だったので峰の原高原では暮らしていません)勝世さんは東京での仕事を継続し、平日は東京で仕事、土日だけ峰の原の家に帰る単身赴任スタイルだったそうです。文子さんは慣れない土地で、平日は小さい子ども3人のワンオペ育児。想像しただけでハードですね。峰の原高原に住んでいる子どもは菅平や上田の学校へ通うのですが、遠いので親の送迎が必須。さすがに保育園・小学校・中学校と3箇所への送迎は大変だったと文子さん。平日勝世さんがいないことに子どもたちは寂しがっていましたが、3ヶ月もすれば慣れた、とのこと。子どもたちが小さいころは、こもれび広場のあたりに本格的なアスレチックが30数個あり、いつもそこで元気に遊んでいたそうです。中には「サスケ」を彷彿とさせるような高難度のアスレチックもあり、成長とともに制覇していくのが楽しみだったといいます。

広いリビングからは白樺の林が見える
窓際には結露防止用のパネルヒーターが

スキーにギター、好きなことを思い切り楽しむ

峰の原高原へ移住してから勝世さんが本格的に始めたスキーは、今では人に教えるほどの腕前に。同じく峰の原在住の萬谷さんとは、よく北海道や栂池高原へスキー旅行へ出かける間柄。また、ギターの演奏も得意で、たびたび演奏を披露しています。勝世さんが中高生の頃ビートルズが出てきて、バンドやフォークソングブームが起きた頃、質屋で格安のギターを手に入れたそうです。クラシックギターを習いつつ、フォークソングやラテンなど、様々なジャンルの曲を弾くように。ご本人は「まだまだギターの演奏テクニックは発展途上の段階だよ」と至って謙虚だけれど、「人前で演奏するのが一番成長するんだよ。最初は緊張するけどね」と教えてくれました。勝世さんの音楽好きが影響したのか、長女は音楽の道に進みました。今では楽典(楽譜の読み方や音楽理論)で分からないことがあると長女に聞くそうです。

愛用のギター
手に取ると無意識に鳴らしてしまうよう

登山の魅力に開眼

片や、文子さんが峰の原高原へ来てから夢中になったのは登山。都会育ちでほとんど山になじみがありませんでしたが、根子岳に登って登山の魅力に開眼。国内だけにとどまらず、2016年にはエベレストを見るためにネパールまで行っています。カトマンズからルクラまで飛行機で飛び、そこからエベレスト街道を歩き、ナムチェバザール(街道で最大のシェルパの村)を経由してタンボチェ(チベット仏教の大僧院がある)からエベレストを拝むというもの。名だたる8,000m級の山々に囲まれたさらに奥に見えたエベレストに、大興奮だったそうです。

「槍ヶ岳もいいのよね。山頂に到達しても、周りにまだ登ったことがない山が次々見えてきて、どんどん登りたい山が増えるの」と目を輝かせる文子さん。勝世さんも一緒に登山はするそうですが、意外にも「自分は(山に)行こうっていうから一緒に行ってる」感じだそうです。小さいころから府中の野山で遊び回っていたので、山が特別珍しいものだと思っていないからかな、とのこと。それでも一緒に山へ行くのは、文子さんの楽しそうな顔を見たいからなのではないかと感じました。

「1人の時間も大事」と話す文子さん。一緒に楽しむ時間も、それぞれで楽しむ時間も尊重する。それがずっと仲良くいられる秘訣なのかもしれないですね。

愛情で満たされているからこそ

「うちのかみさんは、両親に大事に育てられてきた。だから自分も大事にしないと(勝世さん)」

「年を重ねて、親の思いが分かるようになってきた。人は互いに支え合って生きていると実感している。まだ親が自分にしてくれたようには自分の子どもにはできていないけど、感謝している(文子さん)」

このお二人の言葉が、お話を伺っていて印象的でした。きっと2人はたくさん愛情を受けて育ってきたのでしょう。そして受けた愛情を子どもや周囲の人に注ぎ、それを受け継いでいくのです。

「自分たちが主役」で移住はうまくいく

もし移住の理由が「子どもの教育のため」だったら、途中で嫌になっていたかも。利便性を重視する人は、「公共交通機関がない、近くに買い物できるところがない、学校に自力で行けない、冬が厳しい」ような不便なところに住む選択はしづらいでしょう。たとえ自分の子どもといえども、他人のために移住していたら、無理や我慢する部分が出てくることもあるはず。移住の理由が「自分たちの好きなことが何でもできる」つまり「自分が」望んで移住したというところがポイントなのではないでしょうか。周囲の人に愛情をかけられて育ち、自分で自分に愛情をかけられる2人だから、子どもを含め、他人にも愛情をかけられるのではないかと思いました。

足りないものを数えるより、自分がワクワクするものに目を向けた方がずっと幸せ。そこに豊かな生き方を見出したような気がしました。

スキーのために帰省していた末娘の智紗さんと
とても仲良しな親子

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